法律の言葉って難しいですよね。
比較衡量論と2重の基準論といきなり言われても、普通わかりません。
とってもややこしいです。
ただ裏を返せば、法学の難しいところは、言葉がわかりづらいこれだけなんです。
覚えてしまえばこちらのもの。
あとはスラスラ難しい判例も読めてしまいます。
今回は比較衡量論と2重の基準論ですが、これも意味さえ分かれば、結構単純なものです。
では詳しく見ていきましょう。
比較衡量論は、人権の制限によって得られる利益と、人権の制限によって失われる利益を比較し、合憲か違憲かを決める判断方法。
二重の基準論とは、人権を精神的自由と経済的自由とに分けて、前者を厳格に、後者を緩やかに違憲審査する方法。
比較衡量論とは?
比較衡量論の読み方
ひかくこうりょうろん
⇧と読みます。
どちらの利益が大きいか
比較衡量論とは、シンプルに言えばどっちの利益が大きいかという考え方です。
つまり、人権を制限することによる利益と人権を制限しない場合に維持される利益、どちらの方が利益が大きいか比べているのです。
個別的比較衡量とも呼ばれます。
博多駅テレビフィルム提出命令事件や全逓東京中郵事件などで採用されました。
それを制限することによってもたらされる利益とそれを制限しない場合に制限される利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には、それによって人権を制限することができる。
個別的比較衡量
公共の福祉とちがって抽象的でない
人権制限の合憲性を考える時、公共の福祉の観点からいくと、非常に抽象的でわかりづらいものでした。
その点、この比較衡量論は単純明快、個々のケースで具体的状況を踏まえて対立する利益を比較することで合憲性を判定することができます。
ただし、少数派、特に国家権力と国民との関係では注意がいる
多数派が必ず勝つ
100人のために、1人を犠牲にする。
映画のキャッチコピーみたいですが、これがある意味、比較衡量論の行きつくところです。
利益の大きさで言えば、どう考えても100人を優先されるでしょう。
100人が賛成する空港建設に、1人が反対運動していたとして、運動をやめるよう裁判を起こされたら、比較衡量論に基づいて下されるのは多数派の意見にそった判断なはずです。
表現の自由がいとも簡単に制限されてしまうのです。
変人、奇人の意見なんて不要、そんな社会はちょっと怖いですよね。
多数派の意見が必ずしも正しいわけではない以上、短絡的な答えには気を付ける必要があります。
国家権力と国民
国家の利益と、一国民の利益。
どちらが大きいか比べて、国民と思うのはちょっとあまのじゃくではないでしょうか笑
一般的に利益の大きさ(基準が不明確ですが)でみれば、国家の方が優先されるべきです。
つまり、比較衡量論は国家権力の利益が優先される可能性が高い、そういったデメリットはらんでいるのです。
同程度に重要な2つの人権の時に用いられるべき
よって、この基準は同じくらいの重要度(報道の自由とプライバシー権とか)を調整するため、あくまで裁判所は仲介者のように動く場合に限定して用いられるべきとされます。
二重の基準論とは?
比較衡量論の問題を指摘しながら、具体的な違憲審査の基準として主張されたのが、二重の基準論です。
一元的内在制約説を具体化、アメリカの判例理論に基づき体系化された。(Double standard)
精神的自由権と経済的自由権で扱いを変える
二重の基準論とは、精神的自由権を制約する場合と、経済的自由権を制約する場合とで、裁判所の違憲審査基準を変えてみよう、という考え方を言います。
- 精神的自由権では厳格に
- 経済的自由権では緩やかに
精神的自由権は厳格に
厳格な基準
ここで言う厳格とは、「違憲だとする基準を少しでも越えたら即違憲判断」という感じです。
人権カタログの中でも精神的自由権は優先的地位を占める
精神的自由権は、立憲民主制にとって必要不可欠です。
自由な議論がなければ、民主制は機能してないも同じだからです。(国家に文句を言うなと法律を作るとか)
そのために強く守らなければならない=厳格な基準が必要というわけです。
民主的な手段が残されいれば、経済的自由権はなんとかなるかもしれませんからね。(規制されても撤廃や自由化を求めることもできる)
職業選択の自由は民主制に不要か?
精神的自由権は立憲民主制に不可欠。
そういうと、じゃあ職業選択の自由(経済的自由)は不可欠ではないのかという疑問があります。
二重の基準論も完ぺきではないというわけです。
経済的自由権は緩めに
裁判官はあくまで法律の専門家
経済的自由権が規制される場合を思い浮かべてください。
社会・経済政策の問題が多いのではないでしょうか。(大型ショッピングモールを規制するとか)
こういったことって裁判官の専門外ですよね。(法律の専門家であって、公平な判断のためにテレビや新聞を一切読まない人も多いそうです)
そのためなかなか立法府の判断(政治判断)に口出しがしにくいのです。
これには批判もある
十分に資料などを用意して行われる裁判において、その資料などを客観的に評価すれば、それが憲法の趣旨に反しているかどうかは裁判官にとって、それほど困難ではないのではないか。
そもそも、すべての経済的自由に関する問題が複雑な政治判断を伴うわけでもない。
確かに、弁護士資格要件をどうするか(経済的自由)とわいせつ表現規制(精神的自由)をくらべると、一概に経済的自由権のほうが判断しずらいとは言えない気もしますね。
どちらかと言うと消極的な基準論
この二重の基準論は、裁判所が政策的判断にあまり口を出さない方がいいというところに帰結しています。
違憲のグレーゾーンにあっても、それが社会にとってプラスであれば、邪魔建てしないでおこうという考えがあります。(アメリカではニューディール政策に違憲判決がでて批判が起きた)
合理性の基準
経済的自由権の規制立法に用いられるのが合理性の基準です。
法律の目的・手段が著しく不合理でない限り合憲とします。
読んでくれてありがとう!
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