人はどこからきたのでしょうか?
ずいぶん昔の事なので、本当のところは誰もわかりません。
ただ一つだけわかることがあります。
何かがいたから、あったから私たちがいま生きているということです。
なぜ人は生きるのか?
それはわかりません。
でも、少なくとも私たちの存在は、過去の誰か知らない人たちが他の生物との生存競争に打ち勝ったからあるのです。
先史を学ぶ意味は、正直言って試験的に皆無です(笑)
ただ、非常に興味深い分野だというのは間違いないです。
先史と歴史
私たちの祖先となる猿人が誕生したのは、今から500万年前のアフリカでした。
彼らも、そのあとに続く原人、旧人らも文字を使いません。
文字の発明は、現在の私たちと形を同じにする新人の誕生を待つことになります。
新人の誕生は今から4万~1万年前です。
この文字のない時代を先史時代
文字による記録の時代を歴史時代と呼びます。
- アウストラロピテクス
- ネアンデルタール人
- クロマニョン人、周口店上洞人
- ラスコー、アルタミラ
先史時代の主役たち
歴史時代の主役はもちろん、私たち現生人類(新人)であり、今も続いています。
しかし、人類の幕開けは私たちではなく猿人から始まります。
最古の人類【猿人】
彼らの特徴は、直立で二足歩行し、道具や言語を使い、火を扱い、労働をするところにあります。
これは類人猿には見られない特徴でした。
有名なものに、エチオピアで完全な骨格として発見された種、アウストラロピテクス=アファレンシスがいます。
最古は500万年前のラミダス猿人だよ。
アウストラロピテクスは400万年前
250万年前になると、さらに進化し現生人類に近づいたホモ=ハビリスが出現します。
進化する人類【原人】
そして180万年前、アフリカに原人が出現したのです。
すでに彼らの脳容積は猿人の倍にまでなっており、集団で生活し、原始的な石器を使い始めていました。
石で打ちつけギザギザにした礫器や握斧などが見つかっているよ。
130年前にインドネシアにジャワ原人が
遅れて中国でも、約70年前に北京原人、藍田原人が出現しています。
いろんな名前がついているけど、見つかった場所が違うだけ。
みんな、原人(ホモ=エレクトゥス)の亜種だよ。
100万年前ごろから、アフリカにいた原人がヨーロッパにも進出するようになります。
議論を呼ぶ人類【旧人】
昔は猿人→原人→旧人だったよ。
でも最近では、現生人類とはどこかで枝分かれした存在とされているね。
実は旧人という言葉もあまり使われなくなってる。
12万年前ごろから、脳の容積が現代人と変わらないネアンデルタール人がヨーロッパに出現します。
集団で生活し、小屋を建て、中に炉と調理場を作り、道具も作業用に分けて作成(調整石核技法)するようなりました。
花とともに埋葬された老人が見つかってるよ。
埋葬を大切にし、老人をいたわる気持ちがあったんだね。
旧石器時代から新石器時代へ
打製石器を使う時代を
旧石器時代
細石器を使う時代を
中石器時代
磨製石器を使う時代を
新石器時代
大まかだとこんな感じだよ。
今に至る進化系【新人】
6万年前、新人(ホモ=サピエンス=サピエンス)がアフリカに出現します。
その後ヨーロッパでも発見され、クロマニョン人と呼ばれています。
他にもクロマニョン人に似た周口店上洞人が中国で発見されているよ。
彼らは集落を作り、その社会の特色を持った石器を作り始めることで、次第に同族意識を持ち始めたのです。
こうして集団同士での争いが生まれていきました。
その一方で、これまでにはなかった、彩色壁画や石像といった芸術を理解するようにもなります。
フランスのラスコーや
スペイン、アルタミラの洞窟画 が有名だね。
ただし娯楽ではなく、宗教的な意味合いだったみたい。
温暖な時代
1万年前、更新世が終わり、温暖な完新世が始まります。
更新世は250万年続いた
氷期が続く厳しい時代だよ。
これを利用した人類は、狩りや採集(獲得経済)から農耕、牧畜(生産経済)の生活に変化していきます。
この変化は人類の定住を促進させました。
農村の誕生です。
余力の増加は、専門の職人が出現させ、絵がかかれた彩文土器(彩陶)や銅・青銅製品のような精錬された道具が使用されるようになります。
この頃から階級が生まれだしたね
紀元前3000年頃なると世界各地に文明と呼ばれる、人類の文化圏が登場します。
人類は、人工的に水を引く灌漑農業の開始や、神殿を中心とした都市の建設など急激な進歩を遂げます。
ストーンヘンジなんかもこの頃だね。
まとめ
- 始まりは猿人
- 原人・旧人に進化した
- 旧人ことネアンデルタール人の立ち位置は微妙なところ
- 新人が現代人に続いている
- 暖かくなって文明は誕生した
読んでくれてありがとう!
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コメント一覧 (1件)
ハプログループI(Y染色体)、R1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)、N(Y染色体)のバイキングとヨーロッパ人
先史ヨーロッパ
前期旧石器時代
ヨーロッパ地域で最も古い人類遺跡・ドマニシ遺跡(ジョージア共和国)から約180万年前に遡る原人の人骨やオルドワンの石器インダストリーに類似した打製石器が出土した。コザルニカ洞窟(ブルガリア)から約140万年前のヒトの活動痕跡が確認された。西ヨーロッパの初期人類遺跡としてグラン=ドリナ遺跡(スペイン)が有名であり、約90万年前の時期に推定される原人の上顎骨が発見された。前期旧石器時代後半、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ドイツ・ハイデルベルク近郊)の痕跡がヨーロッパだけではなく、アジア・アフリカの幅広い地域で分布するようになった。この原人は、ホモ属の進化系統からホモ・ネアンデルタレンシス(ネアンデルタール人)が分岐する直前、もしくは分岐直後の現生人類寄りに位置し、それまでの原人に比べると増大した脳容量や平坦な顔の作りをしていた。
中期旧石器時代(ムスティエ期)
中期旧石器時代、ホモ・ハイデルベルゲンシスと強い類縁関係を持つ旧人、ホモ・ネアンデルタレンシス(ネアンデルタール人)がヨーロッパ各地に伝播し、約60万年前から4万年前の間にムスティエ文化を繁栄させる。ルヴァロワ技法による剥片石器を用い、死体の埋葬などの儀礼行為を行った。21世紀以降には化石人類のゲノム分析研究が進み、現代人の持つ遺伝子情報のうち数%はネアンデルタール人に由来することが分かった。ムスティエ文化の主要な遺跡はムスティエ遺跡(フランス・ドルドーニュ)、クラピナ遺跡(クロアチア)、Lynford Quarrys(イギリス・ノーフォーク)等がある。
後期旧石器時代前半(オーリニャック期〜グラヴェット期)
後期旧石器文化の主な担い手はホモ・サピエンスであり、最も初期のものはオーリニャック文化で、約4万2000〜3万2000年前にヨーロッパ南部で栄え、剥片を多用した。オーリニャック文化に後続する時期にはロシア平原〜クリミア山脈付近を中心に尖頭器を多数出土するグラヴェット文化が栄えた。3万3000年前〜2万4000年前の時代にオーリニャック文化でもグラヴェット文化でも女性像が多く製作された。世界最古の女性像とされるホーレ・フェルスの例をはじめ、ガルケンベルク(オーストリア)、ロシア平原のコスチェンキ、ガガリーノ、アヴデーヴォ遺跡でそれぞれ女性像を出土した。3万年前のチェコや3万5000年前のベルギーの人骨からハプログループC1a2 (Y染色体)が検出されており、このタイプがヨーロッパで最古層の集団と考えられる。
後期旧石器時代後半(マドレーヌ文化)
オーストリアのヴィレンドルフで2万4000年前〜2万2000前のヴィーナス像(ヴィレンドルフのヴィーナス)が発見された。後期旧石器時代の末期、フランスを中心とする西ヨーロッパ一帯にマドレーヌ文化を担う人々が拡散した(1万7000年前~1万2000年前頃)。オーリニャック文化を母体とした文化は別名マグダレン文化とも呼ばれる。石器組成は石刃を主体とした他、洞窟壁画等の精神活動の痕跡でも知られ、ラスコーやアルタミラ等の洞窟壁画が多数このオーリニャック・マドレーヌ文化期に描かれている。この頃のヨーロッパはハプログループI (Y染色体)に属するクロマニョン人が分布していた。
新石器時代
西アジア地域における農耕の起源はレヴァント地方の中石器文化であるナトゥフ文化から展開した一連の先土器新石器文化である。1970年代のアッサド湖(シリア)におけるダム工事に伴う発掘調査によってナトゥフ文化から麦農耕・山羊・羊牧畜を伴う先土器新石器文化Bまでの文化系統の推移が明らかになった。西アジアにおける土器の起源もこの地域である。レヴァントの麦農耕がメソポタミア文明を経由して約9000年前にレヴァントと類似する気候の地中海のバルカン半島に伝わり、ヨーロッパ各地に伝播した。初期農耕時代の考古学文化ではディミニ土器等で知られ、大麦や果樹の農耕、牛・豚等の牧畜を行った紀元前5000年頃のセスクロ文化や新石器時代末から青銅器時代にかけヨーロッパ各地に分布した鐘状ビーカー文化等が主要なものである。ヨーロッパに農耕をもたらし、巨石文化を担ったのはハプログループG2a (Y染色体)である。加えて、先住の狩猟採集系ハプログループI (Y染色体)も依然多数発見されており、農耕と巨石文明を受け入れていた。新石器時代に現在ヨーロッパ人口の圧倒的多数を占めるインド・ヨーロッパ語族がヨーロッパに移動した。約6000年前にクルガンと呼ばれる墳丘墓の習慣を持った印欧語系の騎馬民族が黒海北岸からヨーロッパに到来したとする「クルガン仮説」や、アナトリア半島の農耕民が約8000年前に渡欧したとする「アナトリア仮説」等がある。
青銅器時代
ヨーロッパにおける青銅器の使用は紀元前3000年頃のバルカン半島、特にエーゲ海沿岸地帯から始まり、そこから数千年かけて西ヨーロッパに広がった。農耕と同じように西アジアから伝播した青銅器の使用は交通の発達や遠隔地貿易の促進を契機付け、都市的な集住生活を開始するきっかけとなった。エーゲ海沿岸で繁栄した一連の青銅器文明をエーゲ文明と呼ぶ。エーゲ文明にはキクラデス文明、クレタ文明、トロイア文明が含まれる。これらの文明では線文字A、線文字Bといった文字が残されている。ヨーロッパ西部における青銅器時代の主要な考古学的文化としてはルサチア文化(ポーランド)、北欧青銅器文化等が知られている。この頃、イベリア半島にハプログループR1b (Y染色体)に属する人々が到達し、インド・ヨーロッパ語族の拡散もほぼヨーロッパ全土に至った。
(以上)
ヨーロッパ人の変遷(一部は縄文人やアメリカ先住民へ)
ハプログループX(mtDNA)≒ハプログループD(Y染色体)orR(Y染色体)orG (Y染色体)・I(Y染色体)・J(Y染色体)は、ヨーロッパ人、中東人及びアメリカ先住民で観察され、特にアルゴンキン語族話者に多く見られる。レーマン人の子孫であるインカ人とアイヌが同じ民族であることが分かった。4000年以上前のミイラからmtDNAを抽出し、インカ人の末裔であるケチュア族、ラウル・アパル氏より抽出したDNAと比較した。過去58体のミイラからmtDNAの抽出に成功し、それら58体のミイラとラウル氏のmtDNAを比較した結果、12体のミイラのmtDNAの文字配列(564文字)がわずか2か所だけの違いで、あとはすべて一致した。即ち、ラウル氏はレーマン人の子孫であることが科学的に証明された。また、データベースで調べたところ、アイヌ人の一部の人たちと非常に近い配列であることも判明した。1970年代に採血された純粋なアイヌ人の血液からのDNAとラウル氏のDNAの比較をした。これまでに調べられた全世界の2万7000人すべての人の中で、ラウル氏に最も近いのがアイヌだった。そして、その現代アイヌのmtDNAと埼玉県戸田市で発掘された縄文人のmtDNAが一致した。また、同様の結果は北米インディアンのトリンギット族とアイヌの間でも出ている。
最終氷河期には中近東と南欧は陸続きでハプログループDEは南欧に入った。その後、DE→D(YAP+) (Y染色体)=血液型A型(約6万年前)、E(YAP-) (Y染色体)=血液型O型(6万5200年前)に分かれた。約3万9000年前にイタリア・ナポリ西側で火山の大噴火が起きた。これに伴い、ハプログループD(Y染色体)=血液型A型は黒海北岸(ウクライナやポーランドではマンモスの骨で作られた住居跡が発掘されている)に移り住んだ。2万年前、ハプログループD(Y染色体)は寒いヨーロッパから暖かい太平洋側に東進し、食料のマンモスを追ってコーカサス北部・ウラル南部・シベリア南部・バイカル湖畔・アムール川・樺太・北海道と移動した。約1万4000年前、凍った津軽海峡を渡って東日本縄文人となった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、3500年前頃、寒冷化に伴い、東日本縄文人は西日本(人口が東日本の10分の1)に広がり、日本海沿岸、太平洋沿岸、東シナ海沿岸、沖縄に移り住んだ。
ハプログループE(Y染色体)=血液型O型から6万年前にハプログループD(Y染色体)=血液型A型が分かれ、日本(天然パーマ・癖毛)、チベット(直毛)、ブータン(直毛)、アンダマン諸島(黒い肌、縮毛、一部は金髪)等に到達した。血液型O型が多い志那大陸南部や東南アジアと違い、これらの地域では血液型A型が多い。
なお、縄文時代の日本では、ユーラシアン=ハプログループC(Y染色体)、コーカソイド=ハプログループD(Y染色体)、白人=ハプログループN(Y染色体)、オーシャノイド=ハプログループO(Y染色体)は別の人種だった。また、ヨーロッパのハプログループR(Y染色体)はコーカソイド=ハプログループD(Y染色体)と色白金髪碧眼高身長=ハプログループN(Y染色体)からそれぞれの遺伝子を受け継いだため、コーカソイドかつ白人となった。
Y染色体ハプログループの変遷……CT(Y染色体)→DE(Y染色体)、CF(Y染色体)。CF(Y染色体)→C(Y染色体) 、F(Y染色体)。F(Y染色体)→G(Y染色体)・コーカサス→HIJK(Y染色体)→H(Y染色体)・インド、IJK(Y染色体)。IJK(Y染色体)→IJ(Y染色体)、K(Y染色体)。IJ(Y染色体)→I(Y染色体)・バルカン半島orスカンジナビア半島、J(Y染色体) ・中近東、LT(Y染色体)。K(Y染色体)→K2(Y染色体)→K2a(Y染色体)、K2b(Y染色体)、K2c(Y染色体)、K2d(Y染色体)、K2e(Y染色体)。K2a(Y染色体)→K-M214(Y染色体)=NO(Y染色体)・北東亜平野→N(Y染色体)、O(Y染色体)。K2b(Y染色体)→K2b1(Y染色体)、K2b2 (Y染色体)。K2b1-P378(Y染色体)=MS(Y染色体)・豪州→M(Y染色体) (Y染色体)、S(Y染色体)。K2b2(Y染色体)= P(Y染色体)・インドシナ半島→Q(Y染色体)、R(Y染色体)。
通説通り中東から西ルートで来たのは4万8500年前に中東か現在のジョージア付近で誕生したG(Y染色体)=血液型A型、インドのH(Y染色体)=血液型B型、4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したI(Y染色体) =血液型A型はバルカン半島南部・小アジア北部→スカンジナビア半島、4万2900年前に中東で誕生したJ(Y染色体)=血液型O型であり、西アジアから中央アジアを通って西シベリアに至った北ルートはアルタイ諸語系のハプログループC(Y染色体)であり、西アジアから東南アジア・オーストラリアに至った南ルートはオーストラロイドMS(Y染色体)である。
ヨーロッパに到達した最初のホモ・サピエンスは、アフリカ以外のすべての世界と同じくY染色体ハプログループC(Y染色体)であった。その中でも最初の分岐に近いハプログループC1a2(Y染色体)である。C1a1-M8(Y染色体)とされる日本最初の渡来人と近縁関係にある。4万年前に始まったオーリニャック文化の担い手と考えられ、ハプログループI(Y染色体)が渡来するまではヨーロッパ人類の主流であった。
コーカサス地方にあるアルメニア(A型38.5%、O型33.3%、B型19.5%、AB型8.6%)を参考にすると、G (Y染色体)・コーカサス地方=血液型A型(コーカソイド)→H (Y染色体)・インド=血液型B型(熱帯地適応型新モンゴロイド)、I(Y染色体)・バルカン半島&スカンジナビア半島=血液型A型(コーカソイド)、J(Y染色体)・中東=血液型О型と推測できる。
小アジア半島のトルコ(A型34%→R1b=14.7%、R1a=6.9%、G=10.9%、O型43%→E1b1b=10.7%、J1=9%、J2=24%、B型18%→新モンゴロイド、AB型6%→コーカソイドと新モンゴロイドの混血)を参考にすると、6万5200年前に誕生したハプログループE(Y染色体)=血液型O型と推測できる。
4万2900年前に現在のアルメニア付近で誕生したハプログループI (Y染色体)人(クロマニョン人)は狩猟採集民だが、その後にハプログループG2a (Y染色体)人がやってきて、農耕と巨石文明をもたらした。4万8500年前に誕生したハプログループG (Y染色体)は6万5900年前に誕生したハプログループF (Y染色体)の子系統で、4万8500年前にジョージア付近で発生した。非印欧系集団と考えられる。急激なG2a (Y染色体)人の衰亡は彼らに対するジェノサイド攻撃を窺わせる。ハプログループG2a (Y染色体)はG (Y染色体)から分離した後、紀元前5000年ころからヨーロッパに移住した。彼らは新石器文化と農耕技術を備え、ハプログループ I2a (Y染色体)人を巻き込んで文明をもたらした。紀元前5000年~紀元前3000年のヨーロッパの人骨の多くはハプログループG2a (Y染色体)である。現在もコーカサスとカザフスタンで最多頻度を示しているが、ヨーロッパではまれな存在となっており、後続人種に駆逐された可能性がある。イギリスでG2a(Y染色体)人を駆逐したビーカー人とケルト人は異なっている?
ハプログループI (Y染色体)は4万2900年前に現在のアルメニア付近で発生した。下位系統の分岐は3万年前に始まっており、この頃から小アジア・コーカサス方面へ展開を始めた。3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至り、コンゲモーゼ文化などを担ったとされる。ハプログループI(Y染色体)はバルカン半島やスカンジナビア半島に高頻度である。I1 (Y染色体)系統がスカンジナビア半島に、I2 (Y染色体)系統がバルカン半島に多い。1万3000年前のクロマニョン人がスイスで出土され、ハプログループ I2a (Y染色体)であることが明らかとなった。このことからクロマニョン人は I2a (Y染色体)人と考えられる。ヘルツェゴヴィナ人63.8%、ルーマニア人48.1%、ボスニア人42.0%、ノルウェー人40.3%、スウェーデン人40%等である。ハプログループC1a2 (Y染色体)に次いでヨーロッパに分布を広げたグループであり、3万2000~2万2000年前にヨーロッパに至った。コンゲモーゼ文化、スウィデリアン文化やクンダ文化の担い手と考えられる。サブグループI1 (Y染色体)は北方人種と、I2 (Y染色体)はディナール人種と分布の相関がみられる。
以下はハプログループの分布などの証拠からして通説と異なる。
ヨーロッパ人にはコーカサスG(Y染色体)から広がったI(Y染色体)と、アジアから西北進したハプログループR(Y染色体)、Q(Y染色体)、C (Y染色体)、N(Y染色体)がいた。
CT(8万8000年前にアフリカで誕生)→T→F(6万5900年前にユーラシアで誕生)→コーカサス地方に多いG(Y染色体) (4万8500年前に中近東で誕生)→インドに多いH(Y染色体)、バルカン半島やスカンジナビア半島に多いI(Y染色体)(4万2900年前にヨーロッパで誕生)、中近東に多いJ(Y染色体) (4万2900年前に中近東で誕生)→アジアで4万7200年前に誕生したK(Y染色体)→P(Y染色体)、NO(Y染色体)、MS(Y染色体)に分かれた。
ヴュルム氷期(7万年前~1万年前)は現在より海面が140m程低く、①寒流の親潮がベーリング陸橋(約5万年前~約3万5000年前、約2万5000年前~約1万年前)に遮断されていたため、太平洋は大西洋より暖かかった、②現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが、冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから、氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかった、③東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため、氷床の南下が妨げられた、ことが原因で東アジアは氷河化しなかった。ヨーロッパ北部~シベリア北部及び北アメリカ北部は高さ2000mにも及ぶ氷床に覆われていた。このため、人類の大部分は太平洋沿岸の暖かい日本列島~東南アジアに住んでいた。
東南アジアで4万5400年前に誕生したP(Y染色体)は北上し、東西に分かれて進んだ。スンダランド~北東亜平野で誕生したNO(Y染色体)系統は、O(Y染色体)が志那大陸、日本列島、東南アジアに広がり、N(Y染色体)が極東~北欧までの北ユーラシア一帯に広がった。P(Y染色体)&NO(Y染色体)系統は最大集団。インドネシア・パプアニューギニア・オーストラリア・ニュージーランド辺りのハプログループMS(Y染色体)→M(Y染色体)、S(Y染色体)は少数派。オーストラリア・アボリジニは肌が黒いが、その女性や子供は金髪である。北欧や日本のN(Y染色体)は色白金髪碧眼高身長。ユーラシア大陸北部一帯に多いN(Y染色体)は色白だが、金髪碧眼ではない。O(Y染色体)は東アジアでは肌が白いが、東南アジアでは肌が黒い。P(Y染色体)から分かれたR(Y染色体)やQ(Y染色体)は必ずしも色白金髪碧眼ではない。特にアメリカ大陸のQ(Y染色体)はレッドマンと呼ばれた。
ハプログループP(Y染色体)はQ(Y染色体)、R(Y染色体)の祖型であり、4万5400年前にインドシナ半島で誕生した。P*(Y染色体)はフィリピン・ルソン島のアエタで高頻度であり、他の東南アジアでも見つかっている。ルソン島ではP2(Y染色体)、P1*(Y染色体)も見られる。ハプログループP(Y染色体) は東南アジア~西シベリアでQ(Y染色体)とR(Y染色体)に分かれた。親系のハプログループP(Y染色体)が非常に奇妙な移動を行っており、現在も不明な点がある。中央アジアに到達したハプログループP(Y染色体)人が2万年前~2万9000年前にハプログループR(Y染色体)に分岐し、その後も東西に移動拡散を繰り返している。恐らく半ば狩猟、半ば遊牧の生活を送った。
ハプログループR(Y染色体)=血液型A型は大部分が西のヨーロッパ、中東、インドに向かった。一部は北アメリカ北東部に向かい、ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型とともにエスキモーとなった。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。R1a(Y染色体)がインド北部から中央アジアや東ヨーロッパに進出、R1b(Y染色体)が西欧・南欧に進出した。R1b(Y染色体)人は青銅器文明(武器)を伴って西欧まで分布を広げた。今日のバスク人やケルト系民族に80%以上の高頻度に存在する。R1(Y染色体)系統は最終氷河期の後に拡散を開始した。
ハプログループQ(Y染色体)=血液型O型は北に向かい、大部分がアメリカ大陸に渡った。一部はユーラシア大陸に残り、シベリアを中心に分布するタタール人等になった。
コーカサス地方のG(Y染色体)=血液型A型、バルカン半島のI(Y染色体)=血液型A型は肌が黒かった。
色白金髪碧眼高身長はネアンデルタール人→日本列島先住民・蝦夷(えみし)系のハプログループN(Y染色体)→遼河沿岸で匈奴(フィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分のサーミ人、バルト三国人、ハンガリー人等)のN(Y染色体)→西シベリアでR(Y染色体)に受け継がれた。
N(Y染色体)、R1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)、I(Y染色体)はスカンジナビア半島でバイキングとなり、ヨーロッパ各地に広がった。
(以上)
ハプログループI(Y染色体)等は最近まで黒人だった
氷河期、G (Y染色体)、H (Y染色体)、I(Y染色体)、J(Y染色体)は黒人だった。近年、黒人と白人が遺伝的に近接していることが判明し、衝撃を与えた。1991年にアルプス山中で発見された約5300年前の凍結ミイラ・アイスマンはG2a2a1b (Y染色体)で、黒人だった。最近まで黒人だったG (Y染色体)、H (Y染色体)、I(Y染色体)、J(Y染色体)は黒人に先祖返りする場合がある。白人がアフリカ共和国で暮らしていたら、その子は黒人に先祖返りした。白人の両親の間に生まれながら、肌の色が黒人と変わらなかった南アフリカ生まれのサンドラ・ライングの人生を描いた映画『Skin』(原題)は有名である。アンソニー監督は「多数の遺伝子、ポリジーン遺伝によるものだ。例えば目の色は、優劣や分離の法則に従っているから、もし、父親の目の色が茶色で、母親の目の色が青だったら、優劣の法則で子どもはブラウンになりやすい。しかし、皮膚の色は、両親だけでなく先祖も含まれたいろいろな遺伝子から構成されるため、必ずしも両親の持つ肌の色をそのまま受け継ぐとは限らない。すごく稀なケースだけどね」とサンドラの肌が黒くなった理由を説明する。熱帯地インドではH (Y染色体)は熱帯地適応(型新モンゴロイド)で黒人に戻る。
一方、白人になってから数万年経つ日本人は白人に先祖返りする。純粋の日本人・matt(本名は桑田将司)は白人に先祖返りした。アンダマン諸島民(黒い肌、縮毛、一部は金髪)やオーストラリア先住民のアボリジニ(女性や子供は肌が黒いのに金髪)は黒人のままだった。
遺伝的にはコーカソイド≒黒人、コーカソイド≠白人、北アジア人≒白人であることが分かってきた。最後に北ヨーロッパに侵入した白人は西シベリアの北アジア人から分化した。そもそも古モンゴロイドというものはないし、黄色人種というものもない。インド人は熱帯地適応型新モンゴロイド(血液型B型)=新型の黒人であり、白人(血液型A型)ではない。寒冷地適応型新モンゴロイド(血液型B型)=新型の白人であり、白人(血液型A型)が新白人(血液型B型)になったにすぎない。「コーカソイド」という言葉の元になった人たちは見た目が白人ではなく黒人に近い。映画「ターミネーター3」に出演している女優クリスタナ・ローケンを黒人とばかり思っていたら、スウェーデン系アメリカ人と分かった。北欧やインドの人間は黒人と変わらない。コーカソイドの名前の由来となった人種も実際は黒人であり、最近まで白人から除外されていた。他のハプログループと違い、熱帯地では熱帯地適応で黒人に戻ってしまう唯一のハプログループである。これら (インド、中東、コーカサス地方、南欧、北欧) の人たちやロシア人やラテン系ヒスパニックは白人から除外され、逆に日本人が白人に属していた。コーカソイド=白人という通説は廃止した方が良い。モンゴル人からモンゴロイドという言葉が生まれたが、モンゴル人以外には当てはまらない。コーカソイドとかモンゴロイドという言葉自体を廃止した方が良い。遺伝子解析が行われるようになってからは、従来の人種区分が意味を失った。
同じ高緯度地域に住むコーカソイドが新モンゴロイドほどの寒冷地適応を経ていない理由は、偏西風と北大西洋海流によりヨーロッパ地域がシベリアほどの極低温にならなかったためである。日本の場合は、偏西風・ジョット気流により寒気が遮断される上、黒潮(暖流)により極低温にならなかったため、新モンゴロイドではなくコーカソイドの特徴が多く残った。氷河期は海面が140m低く、①寒流の親潮がベーリング陸橋に遮断されていたため、太平洋は大西洋より暖かかった、②現在の東アジアの降水量は夏に非常に多いが、冬はヨーロッパや北アメリカの同緯度と比べて極端に少ないことから、氷河が形成されるだけの降雪が起こらなかった、③東アジアには東西方向に高い山々が連なっているため、氷床の南下が妨げられた、ことが原因で東アジアは氷河化しなかった。このため、氷河期でも太平洋は暖流が巡っており、暖かく、原日本人は旧石器時代後期にヨーロッパ→バイカル湖畔→樺太→日本(陸続き)にたどり着き、寒冷地適応しなかった。ヨーロッパ人の先祖は東南アジアで発生し、西進した。シベリアやモンゴルは寒冷地適応して新モンゴロイドになった。華北は紀元後に新モンゴロイド化した。マルコポーロは東方見聞録で日本人を白人とした。秀吉時代、日本人女性は西洋人よりも肌が白かったので、奴隷として高く売れた。それを知った豊臣秀吉は日本国内でキリシタン大名、宣教師、キリシタンを罰するとともに、スペインと交渉して日本人女性を取り返した。西欧人は日本人を自分たちと同じ白人と思っていたが、最近、モンゴロイド扱いするようになった。
ハプログループCT(Y染色体)→DE(Y染色体)、CF(Y染色体)に分かれた。CF(Y染色体)→C(Y染色体) (アルタイ系) とF(Y染色体)に分かれた。C(Y染色体)は中近東→中央アジア→極東→北アメリカ北西。F(Y染色体)→G(Y染色体) (コーカサス)→HIJK(Y染色体)→H(Y染色体) (インド)、IJK(Y染色体)に分かれた。IJK(Y染色体)→IJ(Y染色体)、K(Y染色体)に分かれた。IJ(Y染色体)→I(Y染色体) (バルカン半島・スカンジナビア半島)、J(Y染色体) (中近東)、LT(Y染色体)に分かれた。K(Y染色体)→K2(Y染色体)→K2a(Y染色体)、K2b(Y染色体) (フィリピン南部以南)、K2c(Y染色体)、K2d(Y染色体)、K2e(Y染色体)に分かれた。K2a(Y染色体)→K-M214(Y染色体)→NO(Y染色体)→N(Y染色体) (西日本縄文文明~遼河文明→ウラル系)、O(Y染色体) (志那、東南アジア)に分かれた。K2b(Y染色体)→K2b1(Y染色体)、K2b2 (Y染色体) (東南アジア)に分かれた。P(Y染色体)=K2b2(Y染色体)→Q(Y染色体)、R(Y染色体)に分かれた。Q(Y染色体) (血液型О型)は極東→ベーリング陸橋→アメリカ、R(Y染色体) (血液型A型)は西シベリア→ヨーロッパ・中近東・北インド、北アメリカ北東。K2b1-P378(Y染色体)→MS(Y染色体) (豪州先住民)→M(Y染色体) (Y染色体) (ニューブリテン島、ポリネシア、メラネシア)、S(Y染色体) (パプア・ニューギニア、ニューブリテン、メラネシア、オーストラリア等)。
ハプログループN(Y染色体)=東北に青い瞳等が1~2割いる。瞳の青い蝦夷は大和朝廷軍に敗れてから全国に広がった。青い瞳は劣性遺伝なので、日本人の遺伝子に隠れている。現代日本人の中にネアンデルタール人の遺伝子が1.4%含まれている。白っぽい皮膚、金髪や赤毛、青い目などはネアンデルタール人から受け継いだ。シベリアで発見されたネアンデルタール人の兄弟種の化石から、その遺伝子の一部がポリネシア人に混入している。青い瞳等は日本でネアンデルタール人→蝦夷(ハプログループN)→北東亜平野で匈奴(ハプログループN)→西シベリアでヨーロッパ人の先祖(ハプログループR)と受け継がれた。
日本人には黒髪だけなく、ブリュネット(栗毛)、レディシュ(赤毛)、プラチナブロンド(明るい金髪)、ストロベリーブロンド(明るい赤毛)がいるが、ヨーロッパ人等にあるダークブロンド(金髪と茶髪の中間)、アッシュブロンド(少し青い色素がある栗毛)、濡烏(青みを帯びた黒髪)はいない。金髪も劣性遺伝なので、日本人の遺伝子に隠れている。
ハプログループI(Y染色体)が色白金髪碧眼高身長と主張する説を唱える者がいるが、ハプログループI(Y染色体)が多いバルカン半島は色白金髪碧眼ではない。また、3割が色白金髪碧眼高身長であるタタール人(Q、C2、N)や色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし) (C、N) にはハプログループI (Y染色体)は存在しないが、ハプログループC、N(Y染色体)はある。
北欧には色白金髪碧眼でハプログループN (Y染色体)=血液型A型が大部分を占めるフィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、ノルウェーに住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人(エストニア人N・41%、ラトビア人、リトアニア人)等がいる一方、色白金髪碧眼でNが少ないノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)がいる。バイキングとして集まったバルカン半島のハプログループ I (Y染色体)、アジア特に色白金髪碧眼高身長の蝦夷(えみし)のN(Y染色体)、ゲルマン系のR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)が混血し、北欧人となっていったことが分かる。
スラブ系は結構Nが多く、ゲルマン系はNが少なく、ラテン系はNがほとんどない。
スラブ系のロシア人(R1a・19.8%~62.7%で平均46.7%、N・5.4~53.7%で平均21.6%、I・0-26.8%で平均17.6%、R1b・0-14%で平均5.8%) (色白金髪碧眼)、ウクライナ人(R1a・43.2%、I・27.2%、R1b・7.9%、E1b1b・7.4%、N・5.4%) (色白金髪碧眼)等。
以上で色白金髪碧眼に共通しているのはハプログループN(Y染色体)だけである。
先住民族のサフル起源のY系統はハプログループC-M130*(xM8、M38、M217、M347)(Y染色体)・1%、C-M347(Y染色体)・19%、K-M526*(xM147、P308、P79、P261、P256、 M231、M175、M45、P202)(Y染色体)・12%、S-P308(Y染色体)・12%、M-M186(Y染色体)・0.9%であり、ハプログループI(Y染色体)は存在しない。ハプログループC-M347(Y染色体)、K-M526 *(Y染色体)、S-P308(Y染色体)はオーストラリア先住民固有のものである。ニューギニア人とアボリジニのオーストラリア人が3万年以上孤立している。アボリジニの女性や子供は肌が黒いのに金髪である。
色白金髪碧眼高身長はY染色体ハプログループやmtDNAハプログループではなく、ゲノム(全遺伝情報)で見る必要がある。
Y染色体は男性にしかないが、女性の色白金髪碧眼高身長はどう説明するのか?色白金髪碧眼高身長のタタール人のあしやさんは女性である。これはどう説明するのか?男性にしかないY染色体を色白金髪碧眼高身長と結び付けようとすること自体に無理がある。
色白金髪碧眼高身長はY染色体ハプログループやmtDNAハプログループではなく、ゲノム(全遺伝情報)で見るべき。色白金髪碧眼高身長はK(Y染色体)から分かれた新しい遺伝子N(Y染色体)、S(Y染色体)、R(Y染色体)【ユーラシア大陸に残った者がN(Y染色体)から受け継いだ】に随伴している可能性がある。少なくとも最近まで黒人だった古い遺伝子ハプログループI(Y染色体)には随伴していない。
色白金髪碧眼が全くいないアメリカ先住民はハプログループQ(Y染色体)かR(Y染色体)かC (Y染色体)かD(Y染色体)であり、ハプログループN(Y染色体)等はいない。
なお、色白ではあるものの金髪碧眼ではないN(Y染色体)が大部分を占める極東連邦管区北東部の端のチュクチ半島に住むチュクチ人(Y染色体ハプログループN-Tat(Y染色体)・58.3%、Q-M3(Y染色体)・33.3%、R(Y染色体)・4.2%、C2-M217(Y染色体)・4.2%) 、極東連邦管区西部のサハ共和国に住むヤクート人(ハプログループN(Y染色体)・94.5%、C2(Y染色体)・2.1%、Q(Y染色体)・0.5%)、シベリア連邦管区極北部のガナサン人(N(Y染色体)・92%)、北西連邦管区北東部のネネツ人(N(Y染色体)・97%)、モンゴル人(C2(Y染色体)・52%~54%、N(Y染色体)・10.6%、O2(Y染色体)・10.6%、Q(Y染色体)・4.5%)、ブリヤ―ト人(C2(Y染色体)・63.9%、N(Y染色体)・20%)、等。古遼河沿岸のモンゴル・満州・朝鮮に住んでいたハプログループN(Y染色体)は北上(1万2000年前)し、北アジア(極東、西シベリア、ウラル地域)に住んだ。古遼河はモンゴル東部地域から中国東北地方に亘って流れている。
(以上)
日本→ヨーロッパに移動したハプログループN(Y染色体)
祖先型が出アフリカ後、南アジアへ達し、東へルートをとって東南アジアへ達し、ここでNO*祖型(Y染色体)からN祖型(Y染色体)、O祖型(Y染色体)が分化したと推定される(N系統(Y染色体)の分化は8800年前か6900年前)。NO(Y染色体)はK(Y染色体)のサブクレード(細分岐)の一つで、「M214, P188, P192, P193, P194, P195」の変異で定義される系統で、3万4600±4700 年前(別のソースによると3万3000 [3万0900~3万5200]年前or4万1500 [3万7400~4万5600]年前)にハプログループK2(Y染色体)から誕生した。NO(Y染色体)は徳島5.7%、福岡3.8%いる。NO(Y染色体)の親タイプのK2a(Y染色体)のパラグループK2a*(Y染色体)はシベリアのウスト・イシム人(4万5000年前or3万7000~4万2000年前)のみから見つかっている。NO(Y染色体)の祖先Ka2(Y染色体)は出アフリカ後北回りで中央アジア・シベリアを経由して東アジアに至り、NO(Y染色体)が誕生したと考えられる。下記の「Y染色体ハプログループ人集団の東アジアでの展開経路」によると、ハプログループNO(Y染色体)→N(Y染色体)、O(Y染色体)は1万9000年前から海面上昇し、スンダランドの低地が海に沈むと、北東亜平野に移り、その周囲(西日本を含む)で広がった。
縄文文明【紀元前1万6500年~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、縄文語】や長江文明【紀元前1万4000年頃~紀元前1000年頃、旧O2b(Y染色体)系、ベトナム系言語】に遅れて、7300年前の喜界島超巨大噴火以後に遼河文明【紀元前6200年前~紀元前500年頃、ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と黄河文明【紀元前6800年~紀元前1600年、ハプログループO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、シナ・チベット語族】が起こり、難を逃れた縄文文明人がこの2つの文明に深く関わっていた。色白金髪碧眼高身長は縄文文明人から遼河文明人に引き継がれた。
遼河沿岸地帯は1万2000年前頃から4000年前頃までは豊かな水資源に恵まれており、深い湖沼群や森林が存在した。日本も7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。その後、遼河文明人は、約4200年前頃から始まった気候変動により砂漠化したことから、色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)は西に移動し、カザフスタンのバルハシ湖の東にいた(狭義の)匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】と呼ばれていた。
ハプログループP(Y染色体)について、①ユーラシア大陸では西シベリアにハプログループQ(Y染色体)が集中している、②ハプログループQ(Y染色体)が満州を北上している、③極東からアメリカ大陸に渡ったハプログループQ(Y染色体)が多い、④ユーラシア大陸ではヨーロッパ・中央アジア南部・中近東・インドにハプログループR(Y染色体)が集中している、⑤一部のハプログループR(Y染色体)は極東からアメリカ大陸に渡り、北アメリカ北部に集中している、ことから、東南アジア~東アジアでハプログループP(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)に分かれた。東南アジア~東アジアにハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が結構いる。
氷河期が終わると、東南アジア~東アジアではハプログループO(Y染色体)が強すぎるため、もしくは新天地を求めて、ハプログループN(Y染色体)、ハプログループR(Y染色体)、ハプログループQ(Y染色体)が北、東、西に向かった。ハプログループMS(Y染色体)→ハプログループM(Y染色体)、ハプログループS(Y染色体)は氷河期に南東に向かった。
シベリア~中央アジアで北西に向かったハプログループR(Y染色体)とハプログループN(Y染色体)が混血し、色白金髪碧眼高身長はハプログループN(Y染色体)→ハプログループR(Y染色体)に受け継がれた。
現在、この(狭義の)匈奴は北欧【ハプログループN(Y染色体)のフィンランドのフィン人、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人、バルト3国人、ウラル語族)】や東欧【ハンガリー人、ウラル語族、現在は周囲と混血し、ヨーロッパ人の遺伝子が多い】に住んでいる。ハンガリー人はハプログループR(Y染色体)の比率が高く、ヨーロッパ人化が進んでいるが、フィンランド人はハプログループN(Y染色体)の比率が高く、アジア系(日本の蝦夷と同じ)の特徴が残っている。ハンガリー人はマジャール人とも呼ばれているが、マジャールは(広義の)匈奴=モンゴル(ペルシャ語のムガール)である。フィンランド人(Y染色体ハプログループN1a1・61%、 I ・29%、 R1a ・5%、R1b ・3.5%)、スカンジナビア半島東半分に住むサーミ人(N・48%、I1・約31%)、バルト三国人【+I(Y染色体)、エストニア人N(Y染色体)・41%、ラトビア人、リトアニア人】、マジャール人(Y染色体ハプログループR1a が最多、R1b や I がほぼ高~中頻度、NやC2が低頻度)等である。ハプログループ I (Y染色体)が結構多いことから、バルカン半島~スカンジナビア半島でハプログループ I (Y染色体)+ハプログループR(Y染色体)+ハプログループN(Y染色体)がバイキングとして混血した。
3割が色白金髪碧眼高身長であり、シベリアを中心に住んでいるアジア系アルタイ諸語タタール人【Q(Y染色体)、C2(Y染色体)、N(Y染色体)】がいる。
色白金髪碧眼でNが少ないが、色白金髪碧眼高身長がハプログループR(Y染色体)に受け継がれたノルウェー人(Y染色体ハプログループI・40.3%、R1a・17.9%~30.8%、R1b・25.9%~30.8%)、スウェーデン人(Y染色体ハプログループI・37.5%、R1a・24.4%、R1b・13.1%、N・4.4%)、デンマーク人〈+I(Y染色体)〉等の北欧人がいる。
西シベリアの北極圏においてヨーロッパ人の先祖であるハプログループH(mtDNA)=R1(Y染色体)、U(mtDNA)=I(Y染色体)と、日本人やアメリカ先住民の先祖であるハプログループD(mtDNA)≒D(Y染色体)が一緒に暮らしていた。ハプログループX(mtDNA)≒DE(Y染色体)、R(Y染色体)はヨーロッパ・中近東、東日本(縄文人、アイヌ)、北アメリカ大陸北東に共通して観察される。また、西シベリアの北極圏では、永久凍土のミイラはゼレニーヤール(Z-Y)の埋葬地(66°19’4.54 С; 67°21’13.54Â)にある12〜13世紀の墓で発見され、古代のDNA分析は、ZYミイラのmtDNAハプロタイプが5つの異なるハプログループ、即ちU5a(mtDNA)=I系統(Y染色体)、H3ao(mtDNA)=R1(Y染色体)、D(mtDNA)≒C(Y染色体)、U4b1b1(mtDNA)=I系統(Y染色体)、及びD4j8(mtDNA)≒D系統(Y染色体)に属することを示した。それらは西部と東部のシベリア特異的mtDNAハプログループのそれらの独特の組み合わせでそれらを区別する。
また、匈奴の古人骨の古代DNA分析は複数サンプルで行われている。紀元前2~1世紀の匈奴人の3サンプルの分析では、いずれもハプログループQ (Y染色体)に属していた。北東モンゴルの紀元0年前後の3人(男性2人、女性1人)の人骨の分析では、1人の男性はハプログループC2 (Y染色体)とハプログループD4 (mtDNA)に属し、もう一人の男性はハプログループR1a1 (Y染色体)とハプログループU2e1 (mtDNA)に、女性はハプログループD4 (mtDNA)に属していた。別の匈奴人の分析では、Y染色体がハプログループR1(Y染色体)、R1b(Y染色体)、O2a(Y染色体)、ミトコンドリアDNAはハプログループD4(mtDNA)、N9a(mtDNA)、G(mtDNA)が観察された。これらの結果から、Y染色体DNAは、チュルク系民族などアルタイ系に多いC2 (Y染色体)、スキタイなどイラン系に多いR1a1(Y染色体)、ケット人などエニセイ系のQ(Y染色体)、東アジアに広範囲分布するO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)などが混在しており、ミトコンドリアDNAはモンゴロイド系ハプログループが中心で、一部コーカソイド系が混じっている。
スラブ系には必ずR(Y染色体)、I(Y染色体)、N(Y染色体)があり、ロシア人(R1a(Y染色体)・19.8%~62.7%で平均46.7%、N(Y染色体)・5.4~53.7%で平均21.6%、I(Y染色体)・0-26.8%で平均17.6%、R1b(Y染色体)・0-14%で平均5.8%)、ウクライナ人(R1a(Y染色体)・43.2%、I(Y染色体)・27.2%、R1b(Y染色体)・7.9%、E1b1b(Y染色体)・7.4%、N(Y染色体)・5.4%)、ポーランド人〈+I(Y染色体)〉、ギリシャ人〈+I(Y染色体)〉、チェコ人〈+I(Y染色体)〉、スロバキア人〈+I(Y染色体)〉、クロアチア人〈+I(Y染色体)〉、ベラルーシ人〈+I(Y染色体)〉等である。
また、ゲルマン系は主にハプログループR1a(Y染色体)、R1b(Y染色体)であり、N(Y染色体)は少なく、イギリス人〈+I(Y染色体)〉、ドイツ人〈+I(Y染色体)〉、オランダ人〈+I(Y染色体)〉等である。彼らはバイキングに侵略された歴史がある。
さらに、N(Y染色体)がほとんどないラテン系は色白金髪碧眼を受け継いだが、その程度が少ないハプログループR1b(Y染色体) (古代アーリア人→ゲルマン系) が主である。E(Y染色体) (地中海沿岸)、J(Y染色体) (中近東)~イスラム系ウマイヤ朝がスペインを侵略した歴史がある~、I(Y染色体) (バルカン半島・北欧)、G(Y染色体) (コーカサス地方)が混ざっている。ヨーロッパ以外の中近東、中央アジア、インドには青い瞳の者はいても金髪の者はいない。しかし、日本には色白金髪碧眼の者がいる。
東スラブ系や西スラブ系やゲルマン系や北欧系には蒙古斑がほとんどないが、アラブ系やトルコ系に侵略された歴史があるラテン系や南スラブ系は蒙古斑が50%程度ある。ハプログループD(Y染色体)が大部分を占めるアイヌには蒙古斑がない。
後に、遼河沿岸の(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族)にモンゴル(ハプログループC2(Y染色体)、アルタイ諸語)やインディアン語族のQ (Y染色体)(アメリカ先住民と同族)を合わせて(広義の)匈奴と言うようになった。漢帝国は(広義の)匈奴の属国だった。
なお、中央アジアのキルギスの例からソグド人(バルハシ湖の南西にあるソグディアナに住んでいた)はハプログループR(Y染色体)、ハプログループO(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)の混血であり、(狭義の)匈奴(ハプログループN(Y染色体))とは別である。昔はソグド人と(狭義の)匈奴を混同していた。
7000年前の縄文海進では関東まで熱帯だった。色白金髪碧眼高身長のハプログループN(Y染色体)が温帯だった青森県の三内丸山遺跡を担った。この人たちは栗や栃の実などを栽培していた耕作地が疲弊してきたため、青森から関東方面に向けて移動していった。氷河期が終わり、海面が上昇すると、北極海の冷たい海水がベーリング陸橋→海峡を通って親潮(寒流)となって太平洋に流れ込んだ。これにより太平洋沿岸の寒冷化が進み、これに伴い、3500年前、東日本縄文人(東北のハプログループN(Y染色体)、ハプログループC(Y染色体)、関東のハプログループD(Y染色体))が南下し、西日本にも広がった。
新石器時代の中国東北部や東部沿岸の遺跡から縄文土器が出土している。遼河系先住日本人【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】=遼河文明系匈奴【ハプログループN(Y染色体)、ウラル語族】であり、日本の古墳は匈奴由来である。
匈奴を含むフン族はC2 (Y染色体)、C1a1(Y染色体)、N(Y染色体)、O2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)、Q (Y染色体)、R(Y染色体)、I(Y染色体)、D(Y染色体)がいる。なお、西方のフン族には東方のO2(Y染色体)=旧O3(Y染色体)やC1a1(Y染色体)はいない。
日本人におけるハプログループ(mtDNA)は、東アジア・東シベリア→アメリカ大陸のA(mtDNA)、B(mtDNA)、C(mtDNA)、D(mtDNA)、東アジア・東南アジアのE(M9)(mtDNA)、F(mtDNA)、G(M12)(mtDNA)、西アジア→南アジア→志那のM(mtDNA)、N(mtDNA)、西アジア→西シベリア→ヨーロッパ・中東、東日本、アメリカ大陸のX(mtDNA)、志那→北東シベリア沿海州のY(N9)(mtDNA)、遼河・西日本(匈奴=ハプログループN(Y染色体))→フィンランド(ウラル系民族)のZ(mtDNA)、西アジア→ヨーロッパのHV(mtDNA)がある。ハプログループZ(mtDNA)はフィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャッカの先住民などで観察され、一部は遼河~北東亜平野~西日本発祥のハプログループN(Y染色体)と同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族と関連していると思われている。
(以上)