古代エジプトと聞いて何を思い浮かべますか?
ピラミッド?スフィンクス?ツタンカーメン?
エジプトにはたくさんのシンボルがありますよね。
古代の歴史家ヘロドトスはそんなエジプトを「エジプト人とはナイルの水を飲むすべての者」と評しました。
歴史家トゥキディデスは「エジプトはナイルの賜物である」と表現しました。
多くの遺産生んだエジプトの歴史は、実は一つの大きな川から始まったのです。
ナイル川は規則正しく氾濫するから、灌漑農業に向いているよ。
エジプトはナイルの賜物
メネス王による統一
古代エジプトは地中海にそそぐナイル川にそって誕生しました。
当時のエジプトは、現代と同じく乾燥した気候で、オアシス地帯から外れると砂漠が広がる厳しい環境でした。
そのためエジプト人の生活圏もナイル川に沿って、細長く広がっていきました。
まずナイル川流域に小さな村落(ノモスと呼ばれる)が作られていきます。
ノモスが広まったころ、文明誕生のきっかけがナイル川を巡って起きました。
ナイル川を有効活用するためには、規模の大きな共同作業と、それらをまとめる強力な指導者が必要です。
そこに多数のノモスは協力統合する意味を見つけました。
やがて下流の下エジプト、上流の上エジプトの2つの王国にまとまったとされます。
2つの王国は争い、拮抗しましたが、前3000年ころになると、上エジプトの王メネスが登場し拮抗は崩れます。
彼は下エジプトに戦いをしかけ、併合することに成功したのです。
こうしてエジプトに統一国家がはじめて誕生したのです。
メネス王が統一してから、アレクサンドロス大王に征服されるまでの重要なところ古王国・中王国・新王国の3つに分けるよ。
実際には30もの王朝の交代があってわかりづらいからね。
古王国時代の始まり
前27世紀から始まる第3王朝から第6王朝までの500年間を古王国時代と呼びます。
都はメンフィスに置かれ、ファラオが神の化身として統治するという神権政治体制がつくられます。
これは王がナイル川を支配する役割であるため、自然を操る存在、つまり神だとされました。
王は神に従う人としたシュメール人と違って、王様本人が神の役割を担ってたよ。
ファラオは、オシリス神の子ホルス神であり、人間でもあるとされてたから。
今も残るギザの巨大なピラミッドは、この時代のクフ王が自分の墓として作ったのではないかとされています。
古王国自体は第6王朝期に力を失い、各ノモスが覇権を巡る騒乱の時代に入ることになります。
中王国時代とヒクソスの支配
前22世紀、上エジプトのテーベの王家が再び全土を統一、第11王朝を開きました。
11、12王朝は合わせて中王国時代と呼ばれます。
長らく繁栄を極めますが、前17世紀ヒクソスと呼ばれる異民族の侵入を許し、以降1世紀あまりの支配がはじまります。
彼らによって馬と戦車の威力が伝えられ、異民族の征服により中王国時代は終わりをつげました。
異民族との戦争の時代
新王国の成立
前16世紀、テーベに第18王朝が成立、ヒクソスを打ち破り全土を統一することに成功します。
これ以降第20王朝までの500年間を新王国時代と呼びます。
前15世紀にはエジプト最大の王と呼ばれるトトメス3世が登場し、シリア、ヌビアを征服、帝国的支配を確立します。
隆盛を極める新王国ですが、前14世紀アメンホテプ4世の登場により、内部抗争が勃発。
多神教中心のアモン神官団と対立した王は、唯一神アトンの崇拝を強行し、都もテル=エル=アマルナに遷都、名前もイクナートン(アトンを喜ばせるもの)に改名してしまいます。
この結果新しい都では、自由で写実的な美術(アマルナ美術)が流行るなど、文化的変化を巻き起こしました。
エジプトはもともと巨大な国家を支えるために官僚制度が発展していたよ。
大きな力をもつ神官と対立できたのは官僚組織のおかげかな。
アメンホテプの改革は1代限りで、後を継いだツタンカーメン(黄金の仮面で有名な人)はメンフィスに都を移し、アモン信仰を復活させます。
ヒッタイトの台頭
時代は少し戻り前20世紀、中央アジア方面からインド・ヨーロッパ語族がオリエントへ移動を始めます。
馬と戦車で構成された軍隊により先住民を征服、各地に国家を作り上げていきました。
前19世紀、小アジア(トルコらへん)のアナトリア高原に国家を樹立した一派がヒッタイトです。
前17世紀にはハットゥシャを都とし、よく16世紀には古バビロニア王国を滅ぼすほどにまで成長しています。
彼らの強さは、馬と戦車だけではなく鉄製武器の利用にもあるよ。
カッシート王国とミタンニ王国
古バビロニア王国の滅亡後、インド・ヨーロッパ語族の一派カッシート人が侵入し、メソポタミア南部に国家を打ち立てます。(バビロン第3王朝)
他の一派はフルリ人とともにミタンニ王国を形成し、メソポタミア北部から北シリアにかけて勢力を伸ばします。
こうしてオリエントは各王国が覇権を争う時代に突入していました。
カデシュの戦い
数世紀に渡って、ヒッタイトはミタンニ王国、新王国とシリアを巡って争いを繰り広げていました。
そんな中、現存する世界最古の和平条約が結ばれる戦いが起きます。
これがカデシュの戦いです。
前13世紀、第19王朝のラメセス2世はシリア北部への進行を開始します。
オジマンディアスの名前の方が有名だよね。
遠征初期、エジプト軍は北シリアのヒッタイト属国を制圧に成功しました。
これを知ったヒッタイト王ムワタリ2世はすぐさま軍を率いて奪回をはかり、両軍は激突に至ります。
しかし両者とも決定打はなく、膠着状態に陥り、ムワタリ2世は停戦を申し入ることに
ラメセス2世もそれを受諾せざるを得ませんでした。
ここに現存する最古の和平条約が結ばれたのです。
その結果、ラメセス2世は多くの死傷者をだしながらも、領土を獲得できずエジプトへと引き返すことになり、国力の低下は免れませんでした。
古代エジプトの終焉
前12世紀以降、エジプトの勢力は衰え始めます。
第20王朝のラメセス3世が、「海の民」の侵略を撃退に成功するものの、以降異民族の支配と独立を繰り返すこととなります。
海の民は前13世紀から前12世紀に、東地中海の諸国家を襲った謎の民族だよ。
スーダンのクシュ王国の支配を経て、前7世紀アッシリアに征服され、その後独立するもアケメネス朝により再度征服されます。
前332年アレクサンドロス大王の征服により、古代エジプト王国は歴史の幕を閉じることとなります。
以降のエジプトはギリシア文化と融合したヘレニズムの時代に入ることとなります。
エジプト文化の特色
アモン=ラー信仰
エジプトは太陽神ラーを中心にした多神教でした。
都がテーベに移されると、この町の守護神アモンと結合、アモン=ラーとなりエジプト全土で崇拝されていたとされます。
パピルス紙と文字の発明
植物の皮でつくられたパピルスと呼ばれる紙のようなものが使われ、文字が広く使われています。
象形文字が変化し、石碑などで使われる神聖文字(ヒエログリフ)、公文書などでつかわれる神官文字(ヒエロティック)、日常的につかう民用文字(デモティック)のような区別もされていました。
現代にも通じる太陽暦
古代エジプト最大の発明とされるのが太陽暦です。
シュメール人の太陰暦より優れており、現在の暦の原型となっています。
ナイル川の氾濫とシリウス星の関係に気づいたエジプト人は、1年を12か月365日とし、農作業を行う基準としていたのです。
まとめ
- エジプトはノモスから始まって、メネスで統一
- 古王国、中王国、新王国
- アマルナ美術が有名
- パピルスと文字の発明
- 太陽暦はエジプト人の発明
読んでくれてありがとう!
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