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【エジプトの歴史】女王ハトシェプストとエジプト王トトメス3世

正直、古代エジプト史のテストでの扱いは小さいものです。
とりあえず単語だけ知っておけば何とかなる分野です。

今回はそのような単語の代表格トトメス3世と、習うこともない共同統治者女王ハトシェプストをご紹介します。

ごりら
ごりら

漫画とCivでしか知らない

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ハトシェプストの人生

女王ハトシェプストとは何者か?

ハトシェプストとは、世界史履修者にもピンとこない名前です。

エジプトが第18王朝の時代、新王国に分類されるようになった頃でした。
彼女は、エジプト王トトメス1世の娘で、トトメス2世の妻、トトメス3世の後見人として3代にわたってエジプトの要人として生き抜きます。

古代エジプト唯一の女性ファラオと言われています。

ごり子<br>
ごり子

ファラオもエジプト王も同じ意味だよ。
女王というと、クレオパトラが有名だけど、彼女は権力を掌握できていなかったよ。
だから時の英雄カエサルに絨毯にくるまってまでして、近寄ったって思われてるよ。

父トトメス1世の時代

父であるトトメス1世は下位の王子でした。
先代であるアメンホテプ1世は軍事制度を改革した人物でしられ、シリアやヌビアへの遠征を行っていました。

トトメス1世はこの戦いの時代に才覚を発揮し、王の目にとまるようになります。
アメンホテプ1世はトトメス1世を信頼するようになり、妹イアフメスと結婚させ、後継者に望みました。

ごり子
ごり子

エジプト王家は近親婚が多かったよ。
なんといってもファラオは神の化身だからね。
基本的には長子に継承権があったみたい。

トトメス1世は共同統治者として実績を積み、上位の王子らを差し置き、次代王への階段を駆け上がっていきました。

夫トトメス2世との結婚

国王トトメス1世と正妃イアフメスの第一王女として、ハトシェプストは誕生します。
正妃イアフメスは男子に恵まれていませんでした。

そこで下位の王子の中でも優秀とされたトトメス2世が、ハトシェプストと結婚し、後継者に指名されます。

諸説ありますが、トトメス2世は結婚後、ハトシェプストの中に野望をみたようです。
彼は、側室の子トトメスを後継者に指名し、ハトシェプストとの子ネフェルラーとも結婚させませんでした。

しかし、トトメス2世の治世がどれほどに及んだかは諸説ありますが、すくなくとも後継者トトメスが幼いうちに一生を終えてしまいます。

女王ハトシェプストとして

トトメス3世が即位しますが、幼いことからハトシェプストが摂政として、共同統治の形態をとります。

しかし、まもなく彼女もファラオを名乗るようになり、権力を掌握します。
その治世は22年にも及んだとされ、トトメス3世には実権のない時代が続いていました。

彼女の治世の特徴は、平和です。
エジプト新王国は異民族ヒクソスの支配との独立戦争、周辺諸国との覇権争いと戦争の時代でした。
先代たちも軍事的功績をもって王としての権威を高めています。

その中で、彼女の選んだのは武器ではなく言葉による対話、外交による平和な世界の実現でした。

ごり子
ごり子

預言者モーセの育ての親という伝説もあるね。

男装していた?

確かはわかりませんが、公の場では付け髭をし、男の恰好をしていたようです。
絶対権力をもってしても、女性であることが弱点になりかねなかったのかもしれませんね。

ハトシェプスト女王葬祭殿

彼女の作った物は、あまり残っていないのですが(トトメス3世が壊したらしい)王の葬儀や、礼拝をおこなう葬祭殿が残っています。

のちにキリスト教の教会としても使われました。
有名な観光スポットです。

ごり子
ごり子

この1500年あとぐらいにエジプトはローマ帝国下はいるよ。

だからローマがキリスト教化して以降は、エジプトも一大キリスト教圏となってる。

エジプトのナポレオン:トトメス3世

ハトシェプストからの解放

ハトシェプストの治世が終わると、トトメス3世が実権を掌握します。
諸説ありますが、彼は彼女の功績を破壊するように命じたとされます。

また方針も大転換し、軍事主導政策を開始、周辺国との戦争を始めました。
版図を広げ、エジプト最大の王と呼ばれるまでになります。

メギドの戦い

エジプトから見て東北に住むカナン人の要塞メギドへの遠征が有名です。
彼は改良された弓、複合弓を使用し、カナン連合軍を打ち破ったとされます。

複合弓を使った最古の戦いとも言われます。

エジプトのナポレオン

東はユーフラテス川まで、南はヌビアのクシュ王国まで、エジプト最大の版図を築いたことから、エジプトのナポレオンと呼ばれます。

アメン神官団との対立を生んだ?

トトメス3世のもと、国王の権威が強くなりつづけました。
これをアメン神官団は良く思っていなかったとされます。

数代先のアメンホテプの改革は、彼の偉大な功績が原因かもしれませんね。

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