本記事は
信教の自由とは
政教分離原則について
制度的保障説
目的効果基準について
以上に関して解説しています。
そもそも信教の自由って?
無宗教でも関係ある?
あるよ。
信じることだけじゃなくて
強制されないことも保障されているからね。
信教の自由はその名の通り、宗教を信仰、またはしないことを権利として保障したものです。
以下3つの点に重点が置かれています。
- 信仰の自由
- 宗教的行為の自由
- 宗教結社の自由
次の条文を見てください。
信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2 何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
憲法第21条
なぜ必要に?
中世ヨーロッパが近代へ進む経緯には、宗教弾圧から始まり、宗教戦争、そして市民の不満が積もり市民革命へ、このような流れがありました。
その中で、国家と宗教の結びつきが悲惨な弾圧を引き起こすという認識が生まれ、信教の自由と国家と宗教の分離は、近代の最重要テーマとされていました。
日本でも明治政府が、国家に権威を与えるために神道を利用していましたよね。
国家との結びつきの強さから、国家神道とも呼ばれるよ
国が指定した信教を信じないといけない、それ以外は信じられない、というのはとても息苦しいです。
なにより、それで不利益をこうむるとなると、それは自由でも平等でもないですよね。
そうのようなことを防ぐためにも、信教の自由は必要になったのです。
信仰の自由とは?
宗教を信仰し、またはしない、信仰する宗教を自分で決めることができ、途中で変更してもいい、このような自由が信教の自由です。
内心に留める限り、絶対的に保障されます。
強制的の信仰告白させたりは禁止だよ。
だから踏み絵は×。
憲法のいう宗教とは何を意味してるの?
信教の自由は、宗教を信仰する自由です。
この宗教が何を意味するかで、自由の範囲も広がったり、狭まったりしてしまいます。
判例(津地鎮祭事件)でみると、「超自然的、超人間的本質の存在を確信し、畏敬崇拝する信条と行為」としています。
これでは広すぎるとして
独自の教義体系をもった組織があるものだけに、狭く考えるべきという見解もあるよ。
宗教的行為の自由とは?
宗教的行為の自由とは、個人もしくは共同で、宗教上の祝典や布教、儀式をしてもいいという自由です。
もちろん、参加しない自由も保障されています。
宗教的結社の自由
特定の宗教を宣伝、共同で宗教的行為を行うこと目的とする団体を結成してもいいという自由です。
憲法21条(結社の自由)とも被った内容ですね。
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
憲法21条
2 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
信教の自由に限界はある?
保障されるとはいえ、何でもしていいわけではありません。
判例では、加持祈祷中に信仰者を死に至らしめた者を処罰することは違憲ではないとしています。
また、法令に違反して、公共の福祉を著しく害すると明らかに認められる行為をした宗教法人の解散も違憲ではないとしています。
一方で、信仰上の理由から剣道ができず、拒否した生徒への退学処分は違法なのものとした判例もあります。
政教分離原則とは?
どんな意味があるの?
国家が宗教性を持たないこと(国家の非宗教性)、もしくは中立的なこと(国家の宗教的中立性)を目的としています。
国やその期間が、宗教活動をしたり、宗教教育をすることを禁じています。
憲法89条では、宗教団体への公金支出も禁止しています。
公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
憲法89条
特権×
宗教活動×
宗教教育×
公金の支出×
また、信教の自由を保障する手段として、政教分離があるとする制度的保障説が通説となっています。
制度的保障説とは?
権利や人権と密接に結びついた「制度」を特別に保障することで、間接的に人権を守ることを表します。
政教分離がなされていなければ、信教の自由も形だけになってしまうからね。
国が宗教的に中立でいてくれないと、信教の自由が保障されていないのとと同じ。
つまり政教分離という制度を守ることで、結果的に信教の自由を保障しているの。
人権侵害→🛡制度:人権
政教分離は、信教の自由を保障する上で非常に重要なものです。
しかし、まったく国家と宗教が関わらないというのも難しいものです。
そこでどこまでが違憲となるかが問題になりますが、判例では目的効果基準を採用しています。
目的効果基準とは?
目的効果基準とは、禁じられている宗教的活動の意味を、宗教との関わり合いを持つすべての行為とするのではなく
「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉などになるような行為」と限定する基準です。
簡単に言えば、いろんな要素から総合的にみて、やりすぎか判断するみたいな感じ。
目的と効果だけを見るわけではないよ。
条文で「いかなる宗教活動もしてはならない」としているのに、例外があるってこと?
それは正しい批判だね。
だけど、宗教が文化になっている場合もあって、一律に禁止は都合が悪いの。
まとめ
- 信教の自由は、内心なら絶対
- でもなんでもやっていいわけではない
- 政教分離は信教の自由を保障するための手段
- それを制度的保障という
- 裁判での判断基準は、目的効果基準
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